語らいはくまいのうつしみ日記

語らいはくまい/katarai hakumai

早帰りに見たライオンのごきげんよう

夏休みや冬休みといった長い休みの最中は、非日常が溶けて、休みが終わってしまうことなんて想像もつかなくて、非日常が日常だとすら錯覚してしまう。

 

ホームルームで後ろから3列目くらいの人までが駆り出されて、日常へと参加するための切符をあつめていく。切符を渡さなかった子は先生のもとへ集合して、「もう夏休みじゃないんだから」と非日常の終焉を宣告される。

 

あちこちで聞こえるお土産話をバックグラウンド再生しながら、あの時間は今となってはまぼろしだったことを実感する。カレンダーのうらがみに書いた予定調和の取れない宿題の計画表とか、止まったままの交換日記とか、風物詩の数々を思い出しては、進みゆく日常の憂さに沈んでいく。

 

午前授業で終わるのがせめてもの救いで、早帰りの日に見られるライオンのごきげんようが好きだった。テレビから流れる野沢直子トークが私に夏をくれる。

 

もういいともを見られないことに気づいて、日常への突入をゆっくりと体感する。

 

日常への突入にあたって楽しかったことも、もちろんあった。いくつかある中でひとつあげることすれば、先生の個性が、時間わり表1枚で明らかになることだった。

たとえば、パソコンを駆使してできたポップな仕上がりのものとか、綺麗な直筆でまとめられたものとか、丸くて太いゴシック体で少々窮屈な時間わり表とか、先生と一口に言っても多種多様の先生がいることが表面化されているように見えた。「みんな違ってみんないい」と口走るよりも、この出来事の出現の方がよっぽど説得力があった。

自分がいてもいいことを肯定されるような感じがして、少しだけワクワクした。

 

先生が作ったその時間わり表を、文房具屋で買った色画用紙に貼ったり、切り抜きをしてデコレーションするのが好きだった。これは、私の中で新学期という日常への突入を受け入れるための儀式となっていた。儀式をしているとあっという間に夜になる。

 

部屋の中でしか広げられない自由さを、めいいっぱい楽しんでいた。年を重ねるにつれて、その自由さのキャパシティーが増えたと感じる。

 

知らぬ間に行われていた部屋の拡張工事の成功をお祝いして、自愛チョコとして焼き上げたガトーショコラを口にした。